はじめまして!ゆきえです☺
本日はブログをご覧いただきありがとうございます!
私は1年ほど前にはじめての妊娠。そして、流産を経験しました。
いままで生きてきた中でこんなに悲しいことはありませんでした。
私はこの経験をきっかけに、今までなんとなく生きてきた人生をすべて1度見つめ直し
これからの将来について真剣に考え直すことにしたのです。
「次に私のお腹に訪れる子供には絶対に幸せにしてあげたい」
「人生を変えたい」
そんな強い想いから、こんな目標を掲げました。
Webマーケティングスキル0から本気で勉強して1年後に月30万円!
家で働きながら、キャリアとこれからの育児の両立のために人生の土台を作る。
(2年後には新しい家族が増えていれば幸せです♪)
「この人は急に何を言っているんだろう?」「なんで専業主婦がWebマーケティング?」と思われるかもしれませんが、私は本気です!
私がこのような決断にいたった経験を
せっかくなのでみなさんとシェアできたらと思いこの自己紹介記事を書くことにしました。
プロフィール
名前:ゆきえ
年齢:1995年(28歳)
資格:管理栄養士
趣味:美味しい物食べる、お昼寝をする
好きな食べ物:お肉、フライドポテト、カフェラテ
好きな色:青
好きなアーティスト:モーニング娘。24、YOASOBI
好きなアニメ:ONEPIECE、僕のヒーローアカデミア
誕生~中学生時代「窮屈な家を出て外の世界に飛び込みたい!」
私は、静岡県の富士山の麓に位置する田舎に生まれました。
父はサラリーマン、母は専業主婦。5つ上の姉と祖母と私の5人暮らし。
父は、私が起きる前に家をでて、夜中0時過ぎに帰宅。
土曜日は、お休み返上で仕事場に向かうような働き方をしていました。
日曜日は疲れ果ててほぼ死んだように寝ている父の横に並び
お昼寝したのをよく覚えています。
そんな父の姿を小さい頃から見ていて
「仕事をしてお金を稼ぐって大変なんだな」と感じていました。
父の頑張りもあって、私も姉も塾や水泳の習い事をさせてもらいました。
やりたいことを全力で応援してくれる両親の教育方針の元、
私はのびのびと育っていきました。
ですが、中学1年生の時に姉がうつ病により高校を中退。
部屋に引きこもるようになってしまったのです。
真面目で責任感が強く、人に甘えるのが苦手な姉。
色々と重なり心の糸が切れてしまったのでしょう。
姉はイライラすると私にきつく当たるようになりました。
家族に「姉にまたこんなことを言われた」と伝えると
「姉は心の病気だから、仕方ない。」「我慢しなさい」
と返される。と同時に暗い姉と比較するように
「ゆきえがいると家が明るくなる。いつもありがとう」
と、なぜか感謝されるようにもなりました。
両親や祖母からの気遣いの言葉だったのでしょうが
私には「明るく振舞わなくてはならない」という
家族の役割を押し付けられているように感じました。
期待に答えたいと思った私は友達の前よりも明るいキャラを演じるようになり
次第に家にいることに疲れ、窮屈に感じるようになりました。
家族のことは変わらず大好きだったのですが家を出て自由に暮したい。
外の世界をみてみたいという気持ちが大きくなり
「3年後県外の大学に進学し、家をでる」ことを目標に掲げ私立の高校に入学しました。
高校生「人生初の成功体験と挫折」
中学生までの成績は平均並みの私でしたが、
「大学進学」という明確な目標があったので、真剣に勉強に取り組みました。
努力の甲斐もあり、学年トップ3の常連に成長しました。
テスト前には独自の勉強法で膨大な情報を暗記し、高得点を取ることができました。
その頃の勉強は10時間以上かかりましたが、
成果が実感できたため、ゲーム感覚で取り組んでいました。
当時は、返却された点数が自分の価値を評価してもらっているようで
意地になっていた部分もあります。
そのおかげもあって、評定平均4.8という過去の栄光も残しました。
この成績表は母がいまでも大事に保管しています(笑)
校内での成績は私の人生初の成功体験でした。
高校3年生になり進路を考え始めると、両親に「県外の大学に行きたい」と伝えました。
親は応援してくれましたが、奨学金が必要との条件も提示されました。
県外の大学への憧れから、親の提案を受け入れました。
大学にいくことは決まりましたが、将来の目標がなく悩む日々。
食べることが好きという言葉をきっかけに
担任から「栄養学、管理栄養士の道」を勧められました。
両親も国家資格という安定した道に大賛成。
大人たちのアドバイスと安定した職業に後押しされ、なんとなく進路を選択しました。
ですが、ここにきて挫折を味わいます。
希望大学は全てF判定。必死に勉強してもC判定。
これまでその場しのぎで勉強した内容は何1つ頭に残っていなかったのです。
点数=自分の価値だった私は「お前は何もできない」と否定されているように感じました。
はじめての勉強への挫折。
耐えきれなくなった私は希望校を諦め、
校内成績を活かして県外のFランクの大学に推薦入試で合格しました。
希望大学ではなかったですが
「県外の大学に進学し、家をでる」という目標は達成しました。
大学生「人生の夏休み」
大学生活は父から
「大学生は人生の夏休み。学んで楽しんで来なさい」という言葉をもらい
夢の大学生活がスタートしました。
・ 一生の友人に巡り会う
・ 極力単位を逃さないように努力(5単位を再履修(笑))
・ 初めてのアルバイトでお金を稼ぎ、お客様に感謝される喜びを味わう
父の言葉通り「人生の夏休み」を満喫しました。
のびのびとした大学生活もあっという間に過ぎ4年生の春。
「就職活動」「国家試験」「管理栄養士資格の勉強」が同時に始まりました。
全てが達成しなければならない重要なことでした。
私は資格の勉強に集中するために早めに就職活動を終えようと決めました。
「転職が一般的な今、新卒先がうまくいかなくても国家資格は強みになるだろう」
「管理栄養士の仕事が飲食業で活かされれば、大学生活が無駄にならないはず」
それっぽい理由で飲食店のアルバイト経験と「管理栄養士資格」を武器に、
6月には地元静岡の飲食業に就職が決定しました。
就活を終え、実習と試験勉強に集中。
毎週日曜は知恵熱にうなされながら課題に取り組みました。
その努力の甲斐あって、管理栄養士試験に合格。
こうして、私の人生の夏休みも終わりました。
社会人「私の人生詰んだかも…。30手前専業主婦からの挑戦」
会社に入社して、まず店舗に配属されました。
朝から晩までの激務は予想以上に厳しく、結果的に1年で10㎏も痩せちゃいました(笑)。
そんな日々の中、社会人2年目になり、
本社から「管理栄養士として本社の商品部への異動」の連絡が届きました。
接客は楽しかったけど、長時間の勤務や体力勝負の仕事には既に限界を感じていたので、
私にとっては理想的な異動だと思いました。
本社では食物アレルギー対応、栄養成分値計算、社員教育などを行う立場に就きました。
食物アレルギー対応という、命に関わる仕事にプレッシャーを感じつつも、
お客様からの感謝の言葉を受けて「やりがい」を感じました。
「なんとなく歩んできた人生がココでやっとつながっていく」
「私の人生はそれなりに上手く進んでいくだろう」
本気でそんな気がしていました。
しかし、人生はそんなうまくいきません。
元料理人の上司がとにかく厳しい。(なんならパワハラ)
1番若くてどんくさい私はそんな上司にとっていつも標的でした。
理不尽な理由で説教される日々。しまいには、
「なんで資格を持っているのにこんなことも分からないんだ」と怒られ
「申し訳ございません」と返事をしても、「返事が小さい」という理由で説教延長。
「私って本当は管理栄養士として名乗る資格がないんだな」と感じ
いつしか管理栄養士の資格がコンプレックスになっていました。
「なんとなくで歩んできた人生は間違っていたのだろうか」と悩む日々。
この頃は、会社から帰宅すると緊張から解かれた安心感と
明日もまた会社に行かなければいけない不安から毎日のように泣いていました。
嘔吐をしてしまう日もあり、いま思えば心の限界が来ていたのかもしれません。
そんな日々の中、コロナ禍により、飲食業は大きな打撃を受けました。
全店休業になり、みるみると貯金も減少。
経済的な不安を感じましたが、辞める勇気もなくストレスに耐える日々が続きました。
そして、ある年の夏、突然パワハラ上司が退職。周囲の感情は様々だったようですが、私は正直どうでもいいと思っていました。
飲食業や職場の雰囲気に不安を感じながらも、何とかやり過ごしてきました。
当時、付き合っていた彼との結婚を考えていたので、
今後のライフステージの変化に備え、産休・育休制度を利用したかったので
働く環境を維持することを自然に選びました。
その後、彼と入籍し、結婚式も挙げることに。
結婚式1ヶ月前の2022年11月には妊娠もわかりました。
小さな命が育まれていく中、コロナ禍の中での結婚式が開催され、
家族や友人たちと共に幸せな時間を過ごしました。
なんとなく生きてきた人生でも、支えてくれる人やお祝いしてくれる人に恵まれ、
心から幸せを感じることができました。
結婚後は子供が生まれることを楽しみにし、
仕事を続けながらも今しかない家族との幸せな時間を過ごそう。
そんな幸せも束の間、結婚式の3日後に夫がコロナウィルスに感染。
続いて私も感染してしまいました。
子供の命に危機感を抱き、産婦人科の先生の指示に従い安静にしました。
熱は下がりましたが、強烈な腹痛に見舞われた翌朝、
トイレにいくと私から小さな袋のついた内臓が出てきました。
流産してしまったのです。
その悲しみと喪失感に1週間以上泣き続けていたと思います。
涙も出なくなったとき、私にある強い想いが芽生えました。
次に訪れる子供には絶対に幸せにしてあげよう、と。
その年の春、夫もライフステージを見直し仕事を転職。
それに伴い引っ越しが決まりました。
流産後、間もない知らせに夫と離れて暮らすことは考えられなかった私は、
5年勤めた会社を退職。
専業主婦としての新たな人生のステージに進むことになりました。
30手前、28歳で専業主婦になってしまった私。
周囲は結婚や出産、キャリア構築と充実した人生を歩んでいる中、
私は何も手に入れていないように感じ、焦りと不安が募っていました。
日に日に募るのは
「このままではマズイ。人生詰んでるかも」
という漠然の焦りと不安。そして劣等感でした。
夫の収入だけでは足りないことが目に見えており、
将来の妊娠・出産費用、教育資金や老後の資金など、お金の問題が頭をよぎりました。
仕事を始めるべきだと感じながらも、
自信をなくした資格を活かした仕事はしたくない、そして子供を望む気持ちもありました。
そんな気持ちを転職サイトの相談員に相談すると
「キャリアを積むなら1~2年は子供は先延ばしにするのが妥当でしょう。
出産後のキャリア復帰は選択肢がかなり限られ転職が難しくなります。」
とアドバイスを受けました。
ド正論でした。
しかし、その言葉を聞いても
「ではキャリアを諦めます」「子供を先延ばしにします」
どちらの言葉も出てきませんでした。
どちらも諦めたくなかった。
今までなんとなく歩んできた人生。
選択したその先で一生懸命やってきましたが、いつも中途半端だったようにも思えます。
将来のためにも変わるならいましかない。
でもどうしたらいいか全く分からず、
パソコンやスマホで情報収集をする日々。
すると、「在宅ワーク」の言葉が私の目に飛び込んできました。
私は「在宅ワークの働き方」にどんどん引き込まれていきました。
・家族の時間を大切にしながら働ける
→毎日夫におかえりといってらっしゃいが言える。
→将来子供ができてもかけがえのない時間を大切にできる
・努力次第で家で会社員以上の月収も目指せる
そんな未来が手に入るなら挑戦してみたい。
その後、Webマーケティングスクールを見つけ、これだ!と思い入会をしました。
「Webマーケティング」とは「商品の企画 → 集客 → 販売」の流れの中で
「モノ・サービスが売れ続ける仕組みを作る」までの
全トータルプロセスのことを指します。
ビジネスのほぼすべてのプロセスがマーケティング活動になります。
ビジネスの土台となるマーケティングスキルは、
在宅で学びながらキャリアを積むこともでき
私が掲げた目標の達成がより現実的になると感じました。
しかも、そのスキルが中長期的に役に立ち、
私が将来、妊娠・出産・育児と何度もライフステージの変化があっても
私のキャリアと育児の両立を実現してくれるのではないかと思っています。
最後に…
冒頭でもお話しましたが私の目標は
1年後に家で働きながら月30万円稼ぎ
キャリアとこれからの育児の両立のために人生の土台を作ること
きっと私のように30歳手前を迎え
・キャリアを諦めざる終えなかった
・将来の妊娠・出産・育児のライフステージの変化に不安がある
・収入を増やして自分の可能性を広げたい
・経済的に自立したい
・専業主婦、パートで終わりたくない
このような悩みを抱えている人はたくさんいるのではないでしょうか?
今までの私は、なんとなく周りの人が言う通りの人生を進み、
それに理由を付けて正当化した人生を歩んできました。
しかし、今は違います。
自分で決めた目標を達成するための新たな人生を歩んでいます。
ブログでは、入会したスクールでマーケティングのプロから学んだ知識や経験をシェアし、
私がWebマーケティングを学び実践してどのように変わっていくかを
赤裸々に伝えていく予定です。
決意をした女性の底力って凄いんです。
このブログが読者の皆さんにとって、楽しみながら役立つ情報となり、
共感や勇気を与えられることを願っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました( *´艸`)